すべてがPひゃらら

子供いらない派の僕と子供欲しい派の嫁との間に子供が生まれたらどうなるのかというアレ

余談 七年前の自分のメモ

今までの人生で最も多くのことがみえているはずの今という場所から 過去の自分の判断をみてあれこれケチをつけることほど無意味で姑息なことはない

 
くよくよ後悔しがちな俺には金言だ。やるな。24歳の俺。
 
子供を作ったことをいまさら悔やんでいるわけではありません。念の為。

"子煩悩になれたかもしれない"と思ったささいな出来事

1.友人との会話にて。肩たたき券というワードが出てきた時に、"俺が息子から貰う日も来るんだろうか"とふと呟いたら、"その想像をしてる時点でお前は変わったよ"と指摘される。確かに。

 

2.昨夜見た夢の中にて。レストランで飯を食ってたらテロリストに占拠されて、窓際の席だったのでたまたまうまく逃げられた。けど、妻子がまだ中にいる(そもそも妻子とは違う人達と来たはずだから後から思うとおかしいけど、夢の中ではその矛盾に気づかないから不思議)。"このまま二度と会えなくなったら嫌だな"と思って目が覚めた。僕は息子に"二度と会えなくなったら嫌"らしい。

 

以上

息子がパパっ子になってしまった

なんか記事を書きたいモチベーションが前ほど頻繁に起こらなくなった。たぶん息子の事をどんどんかわいいと思えてきてるからだな。人間に備わった本質なのか僕の性格なのかはわからないけど、やっぱり不幸とか苦労とかの方がより文章に吐き出したくなってくる。

 

息子はすごくかわいいけど負荷もかかる存在なのは前にも書いた。そうだな、今の所僕にとっては、超高級ペット…の域を、ギリギリ出てないな。…子供の権利保護団体に怒られそうだ。でも、いずれペットではなく息子という、ほかの何にも例えられない特別な存在になるかもしれないなと思う。そういう予感はしてきてる。

 

さて、タイトルの通りだ。嫁と見つめ合っている間は真顔なのに、僕と目があって3秒も見つめ合えば、超スマイルで超ハイテンションでシャウトしてくる。

 

嬉しい。かわいい。しかし超気まずい…。僕の事を好きになってくれるのは嬉しいけれど、嫁の次でいいよ…ほんとに…

 

なぜだ、と思って調べて見ると、一応の生物学的根拠があるらしい。四六時中一緒にいる人はもはや身内なので普通にしてる。一方たまにしか会わない人には、自分に敵意を向けないように愛想を振りまくようになっているらしい、本能的に。僕も毎日会ってはいるけど、朝出勤前と、夜息子が寝る前の、わずかな時間だけだしな。

 

ほんとよくできてるな…

子供は社会を信頼すべきか敵視すべきか

というか、まずは信頼しきってると思う。先日、嫁が息子を背負って自分の皮膚科に行ったら、診察の間だけ抱いてますねーと言って看護婦さんが息子を奥の部屋へ連れてったんだと。でも息子は嫌がる素振りゼロでただおとなしくしていたそうな。このまま何処かへ連れ去られても、あの子は私の事を忘れて幸せに生きて行くんだろうな、と思ったんだと。


助産師さんに聞くところによると、生後2-3ヶ月くらいは好奇心も旺盛で、知らない人に会うのも嬉しくて仕方ない時期なのだとか。


そしてここからが大事なところなんだけど、その時期を過ぎてもうしばらくすると、人見知りが始まるんだとか。乳児はだいたい例外なくこのパターンなんだとか。


これは彼らなりの生存本能だなと思った("彼ら"と表現したけど、もちろん僕もかつてそうだったはず)。社会をどの程度信頼するかを選択できる親と違って、彼らは120%社会(親をはじめとした周囲の人々)に頼り切らないと生きて行けないんだよな。そんで、どうやら自分の身の安全は確保されたんだなーと判断される時期(今日まで生きてきたということは、どうやらマトモな大人の庇護の下に置かれることに成功したようだなー、という思考回路が本能的に働く時期)に、不必要なリスクを排除するために人見知る。


最強だね。ほんと脱帽だわ。

子供を作る意味3

子供を作ってつらいこともあるけど、養育義務の重さについてはさんざっぱら書いてきたので、最近感じたもう少しライトなやつを書きたい。  


ずばり、子持ちというレッテルを貼られる事だ。何か議論していて、意見を言っても"お前は子供いるからな。子持ちの意見だな"で片付けられて話が終わる機会が増える。地味だけどげんなりする。


確かに関係はあるんだろうけどさ。なんだかなぁ。。。


とは言いながら、僕だって他人にレッテルを貼っているのは間違いないので、レッテルを貼られる事自体はまぁ仕方ないとは思ってる。ただ、レッテルのその先の話をしようぜ、と思うだけだ。

親は社会を信頼すべきか敵視すべきか

子供ができたので災害用の、非常持ち出し袋の中身を精査した。


新たに追加する事を決めたものは子供の保険証のコピーだったり、哺乳瓶だったり、固形ミルクだったり、紙オムツだったりするのだけど、ひとつだけ、たぶん追加した方がいいんだけどちょっとこれはちょっとアレだなぁ…と思ったものがネームタグだ。


子供の名前、両親の名前、住所、電話番号、予防接種の履歴、アレルギー等々を書いて、腕に巻けるようなものを用意しておくと、万が一非常時の混乱で子供とはぐれても、僕らに連絡がくるとか、一時保護してくれた人がアレルゲンを与えるのを防げるとか、主旨はそういう事で。うむ。頷ける。


一方で、じゃあ、たまたま拾った人が意地悪な人だったり、子供が嫌いだったり、親に恨みを持った人だったり、金に困ってしょうがない人だったり…etc、したらどうなのよ?そのタグがなければ最悪でも素通りするだけだったであろうその人々が、タグを見てわざとアレルゲンを与えたり、あいつらの息子かと思って殴ったり、電話番号書いてあるし身代金でも要求してみるかゲヘヘってなったり、しないとは言い切れない話で。


結論としては、タグがある事で防げるリスクの期待値の方が、タグがある事で被るリスクの期待値よりも大きそうではあるから、用意はするつもりだけど。避難所で息子の腕に巻くとき、待てよ、どうしようかな…ってこれはそのとき絶対頭によぎるはず。


ここまで考えてあらためて気づいたけど、これは別に持ち出し袋にとどまる話じゃないんだよな。社会の手を借りなければ到底子育てなんてできないけど、社会に潜む魔の手から子供を守らなければならないのもまた事実。街のお父さんお母さん達は皆そのギリギリの綱渡りをやってんだな、と思うと。子供がうるさいとか、ベビーカーが邪魔だとかいろいろあるとは思うけども、もうちょっとだけ優しくしてやってくれや、って気持ちになってくる。


書き始めたときはここまで書くつもりはなかったけど、すべて、日本社会を想定してるから起こった思考なので、他の国ではいろいろ大丈夫なのかもしれない。ハッシュタグ日本死ねをつけてもおかしくない記事になってしまった事に自分でびっくりしている。親になるとみんな一度は思うのかもしれないな。日本死ねと。

子供を作る意味2

子供を作ってよかった事がもうひとつある。それは雑談のネタができたことだ。前回書いたのと比べると夢もロマンもない話だけど、本当の事だから仕方がない。それに、夢もロマンもなくても、僕にとってはまぁまぁ切実な話。


だいたい、なんでみんなあんなに楽しそうにどうでもいい雑談ができるのかわからない。別にディスってるわけじゃない。むしろ羨ましい。仕事の話はいつも一定の目的と方向性を持ってるから、誰とでもだいたい噛み合う。これが雑談となると相手がどんな話をしたいのか、何分、何秒話したいのか、笑いたいのか、同情してほしいのか、社交辞令だけで五秒で切り上げたいのか(ちなみに僕はだいたいこれ)、急にわからなくなる。


ところが息子が出来てから、雑談の場面になると、お子さんどうですか?ときかれる率が非常に高くなって、それなりに最近の子供の様子を話すと皆、どストライクとまではいかなくても、まぁまぁ満足そうな顔で去っていく。これは便利だ。


22年間雑談通過パスポート。Priceless。

…いや、超高いけど。