すべてがPひゃらら

子供いらない派の僕と子供欲しい派の嫁との間に子供が生まれたらどうなるのかというアレ

息子を好ましく感じ始めた-2-

息子に抱いている好感について、『他人とルームシェアをしても、これ位の好感は持つことになるだろうな…』と前回書いたけど、誤りだったかもしれない。

前回言及した単純接触効果に寄せて『接触』にたとえて言えば、一緒に住む相手によって接触の圧力、接触面の広さ、接触の頻度などは異なる。もし同居人が自立した大人なら、それぞれのパラメータはそれこそ相手との関係性によるでしょう。でも息子の場合は否応無しにすべてMAXだ。なぜなら彼は自分の力では何もできないから。下の世話も、メシの世話も、風呂の世話も、寝る世話も、ぜんぶ俺が(あと嫁が)やってやるしかない。

接触しないようにするにはネグレクトとか、するしかなくなるけど、養育義務に尻を叩かれて僕は自主的にぐりぐり接触する事になる。こうやって単純接触効果で親は子に好感を持ち、やがては一心同体とさえ感じるようになり、己を守るかのように子の人生を守ろうとするようになるのだろうか。本当によくできている…。

でも、仮に生理的に受け付けないくらい大嫌いな存在だったら、接触し続けてもそれは嫌悪感を増すだけの逆効果になる。その点、僕にとって息子はそこまで忌み嫌うような存在ではなかった。最初から、顔を見ればかわいいと思えた。(そのかわいさが養育義務の重さと釣り合うかどうかはおいといて)

考え合わせると。子供に興味がなくても、我が子に最初はそれほど好感を持てなくても、嫌悪感さえ抱かなければ。その御仁はいずれ我が子を深く愛していく才能をじゅうぶん持っているということになるのかもしれない。

最初から感じている養育義務の心の重し。だんだんと感じてきた息子への好感。僕の心の限られたスペースの中で、後者が今後も膨らんでいったら。両者はいずれぐいぐいと圧迫し合って、圧力に耐えられなくなり臨界点を迎えた瞬間、化学変化して何かひとつの化合物になるような、そんなイメージが湧いてくる。それを愛と呼んでいいのかどうかわからないが。

引き続き自分の心の観測を続けよう。